廃倉庫に響いていた銃声の残響が消えた後、重い沈黙が空間を支配していた。雨宮蒼は床に膝をつき、頭を抱えるように俯いている。取り戻した記憶の断片が、まるでガラスの欠片のように心の奥深くに突き刺さっていた。

 両親の死の真相。黒木竜也の裏切り。そして、自分の記憶を消してまで守ろうとした親友の想い。全てが複雑に絡み合い、蒼の心を混乱させていた。

「蒼!」

 桜庭瑞希の声が響き、彼女が息を切らしながら倉庫に駆け込んできた。後ろには田中刑事と数名の警察官が続いている。

「無事だったのか」田中が安堵の表情を見せながら辺りを見回した。「黒木の奴は?」

「逃げた」蒼は立ち上がり、服についた埃を払った。「でも、これで終わりじゃない。むしろ、今から本当の戦いが始まる」

 瑞希が蒼の顔を覗き込んだ。「記憶は……戻ったの?」

「一部だけ」蒼は複雑な表情で答えた。「でも、十分すぎるほどに」

 警察官たちが現場検証を始める中、蒼は瑞希と田中を少し離れた場所に呼んだ。

「黒木が言っていたことが本当なら、僕の記憶の中にまだ重要な情報が眠っている可能性がある」蒼は二人を見据えて言った。「特に美咲との最後の会話……あの時、彼女は何か重要なことを僕に託したはずだ」

 瑞希が眉をひそめた。「美咲さんって、研究所で一緒に働いていた……」

「そう。彼女は黒木の組織の存在に気づいていた。そして僕に何かを伝えようとして殺された」蒼の声に怒りがにじんだ。「その情報が何なのか、それを思い出さなければならない」

 田中が腕を組んだ。「記憶探偵が自分の記憶を探るってのは可能なのか?」

「通常は難しい」瑞希が答えた。「でも、蒼の能力は特殊よ。もしかしたら……」

「やってみる価値はある」蒼が決意を込めて言った。「ここじゃ集中できない。研究所に戻ろう」

 三人は警察署での事情聴取を済ませてから、記憶技術研究所へ向かった。夜が更けた都心を車が静かに駆け抜ける。ネオンサインが窓に流れていく景色を見ながら、蒼は黒木との最後の会話を反芻していた。

「君は何も知らないままでいてくれ」

 あの時の黒木の表情には、確かに昔の親友の面影があった。しかし、それがかえって蒼の心を苦しめる。善意から生まれた悪意ほど、対処の困難なものはない。

 研究所に到着すると、瑞希は急いで記憶探査装置の準備を始めた。

「記憶の自己探査は危険を伴うわ」瑞希が心配そうに言った。「もし深層記憶に入り込みすぎて戻れなくなったら……」

「大丈夫だ」蒼は椅子に座り、頭部に電極を装着した。「君がいるなら」

 瑞希の頬がわずかに赤らんだが、すぐに真剣な表情に戻った。「モニターで状況を監視するわ。何か危険を感じたらすぐに中止する」

 装置が起動し、蒼の意識は次第に内側へと向かっていった。記憶の海に潜るのは慣れているが、自分自身の記憶となると勝手が違う。まるで鏡の中の鏡を覗き込むような、無限に続く反射の世界だった。

 やがて、ある記憶の断片が浮かび上がってきた。

 それは三ヶ月前、研究所の屋上での出来事だった。美咲が緊張した面持ちで蒼を呼び出したのだ。

「蒼、大変なことが分かったの」記憶の中の美咲が振り返った。「記憶操作技術が悪用されている。それも、政府の中枢に関わる人物によって」

「政府の中枢?」記憶の中の蒼が驚いた。

「内閣官房の橋本次官よ。彼が記憶操作技術を使って、政敵の記憶を改ざんしている。そして、その技術を提供しているのが……」

 美咲の声が震えた。

「黒木竜也という男。彼は『メモリー・アーキテクト』という組織を率いて、記憶操作技術を政財界の有力者に売りさばいているの」

 蒼は記憶の中で愕然とした。黒木の名前を聞いたのはその時が初めてだった。

「証拠はあるのか?」

「ここに」美咲が小さなデータチップを取り出した。「橋本次官と黒木のやり取りを記録したものよ。でも、私たちも狙われている可能性がある。もし私に何かあったら、このデータを警察に……」

 その時、記憶が途切れた。蒼は装置から頭を上げ、息を整えた。

「どうだった?」瑞希が心配そうに尋ねた。

「美咲からデータチップを受け取っていた」蒼は立ち上がった。「政府の中枢も巻き込んだ巨大な記憶操作ネットワークの証拠を」

 田中が前のめりになった。「そのチップは今どこに?」

「記憶が消される前に、どこかに隠したはずだ」蒼は額に手を当てて考えた。「でも、どこに隠したかまでは思い出せない」

 瑞希が画面を見つめていたが、突然何かに気づいたように声を上げた。

「蒼、あなたの脳波パターンを見て。記憶探査中に特定の場所に反応している箇所があるわ」

 蒼が画面を覗き込むと、確かに波形に規則的な変化が見られた。

「これは何を意味している?」

「潜在意識レベルで、特定の場所を強く意識している証拠よ。もしかしたら、その場所にデータチップが……」

 その時、研究所の電気が突然消えた。非常灯だけが薄暗い光を投げかける中、三人は身構えた。

「ここも見つかったか」田中が拳銃を構えた。

 静寂の中に、足音が響いた。複数の人間が建物に侵入してくる音だった。

「裏口から逃げよう」瑞希が囁いた。

 しかし、蒼は動かなかった。彼の目には、もう迷いはなかった。

「逃げるのはもう終わりだ」蒼が静かに言った。「美咲の死も、両親の死も、全ての真相を明らかにする時が来た」

 足音が近づいてくる。ドアが乱暴に開かれ、黒ずくめの男たちが現れた。しかし、その先頭に立っていたのは黒木ではなく、見知らぬ中年男性だった。

「雨宮蒼だな」男が低い声で言った。「私は内閣官房の橋本だ。君とは一度話をする必要がある」

 蒼の心臓が高鳴った。美咲が最後に残した情報の核心人物が、自ら姿を現したのだ。

「ついに尻尾を出したな」蒼が前に出た。「美咲を殺したのも、僕の両親を殺したのも、全てあなたの指示か」

 橋本が冷笑を浮かべた。「若者らしい短絡的な思考だ。物事はもっと複雑なのだよ。黒木君から聞いているだろう?君の記憶には、この国の安全保障に関わる重要な情報が含まれている」

「記憶操作による政治工作の証拠のことか?」

「証拠?」橋本が笑った。「それは一面的な見方だ。我々は国家の安定のために必要な措置を講じているに過ぎない」

 瑞希が蒼の後ろで身を震わせた。田中は銃を構えたまま、橋本の部下たちと睨み合いを続けている。

「美咲のデータチップがどこにあるか、教えてもらおう」橋本が一歩前に出た。「そうすれば、君たちを無事に帰してやる」

 蒼は深呼吸をした。戦いの時が来た。もう後戻りはできない。記憶の真実と向き合い、愛する人たちを守るために。

「それなら」蒼がゆっくりと口を開いた。「まず君たちが真実を話すことだ。黒木竜也は今どこにいる?」

 橋本の表情が変わった。その瞬間、研究所の外から爆音が響いた。何かが始まろうとしていた。

記憶探偵と消えた昨日

15

記憶の真実

水無月透

2026-04-04

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第15話 記憶の真実 - 記憶探偵と消えた昨日 | 福神漬出版