想起の間の庭園に朝の光が差し込む頃、朔夜は石のベンチに腰を下ろしていた。昨夜の憂との別れから一晩が過ぎ、庭園はより一層美しさを増したように感じられる。記憶の花々が光を浴びて輝き、風に揺れる葉音が静かな調べを奏でていた。
「朔夜殿」
振り返ると、紬が白い装束に身を包んで立っていた。しかしその後ろには、見慣れない人影が複数見える。朔夜は身を起こした。
「紬、その方々は……」
「記憶番人一族の長老方でございます」
紬の声には緊張が混じっていた。現れたのは三人の老人たちで、いずれも威厳に満ちた面持ちをしている。中央の女性が一歩前に出た。
「影絵師・夕凪朔夜よ。我らは記憶番人一族の長老評議会の者。白髪の老女、千代田静音と申します」
朔夜は深く頭を下げた。この人たちが紬の運命を左右する立場にあることは、紬の表情からも察することができた。
「この度の一件について、直接お前と話をする必要があると判断いたしました」
静音の声は厳格だが、敵意は感じられない。朔夜は椿野老師から教わった作法に従い、正座した。
「何なりとお聞かせください」
「まず、織部紬の行動についてです」
静音の視線が紬に向かう。紬は姿勢を正したまま、じっと前を見つめていた。
「紬は一族の掟を破り、外部の者と深く関わりを持ちました。本来であれば厳罰に処すべき事案です」
朔夜の胸に不安が広がる。しかし静音は続けた。
「しかし、その結果として想起の間は新たな形に生まれ変わり、記憶番人一族が千年以上守り続けてきた使命に、新しい可能性をもたらしました」
庭園の花々が風に揺れ、記憶の断片がキラキラと舞い踊る。静音はその様子を見回してから、再び朔夜に向き直った。
「影絵師よ、お前は何のために記憶と関わるのか」
「最初は……失った記憶を取り戻すためでした」朔夜は正直に答えた。「でも今は違います。記憶は一人のものではなく、みんなでつなげていくものだと分かりました。紬が教えてくれたんです」
「そして今後は?」
「記憶を守り、必要とする人に届けたい。一人でも多くの人が、大切な記憶と向き合えるように」
静音の表情が僅かに和らいだ。隣に立つ男性の長老が口を開く。
「では、お前は一族の娘である紬との関係をどう考えている」
朔夜は紬を見つめた。彼女の瞳には信頼の光が宿っている。
「紬は……僕にとってかけがえのない存在です」朔夜の声に迷いはなかった。「彼女と共に歩めるなら、どんな試練でも乗り越えられると思います」
「朔夜殿……」
紬の頬がほんのりと染まる。三人目の長老が穏やかな笑みを浮かべた。
「静音よ、この若者の心は真っ直ぐだ。紬の選択に間違いはなかったようだな」
静音は深くうなずいた。
「影絵師・夕凪朔夜、そして織部紬よ。長老評議会は決定いたします」
朔夜と紬は身を正した。
「記憶番人一族は今日をもって、影絵師との協力関係を正式に結びます。そして紬、お前の選択を一族として承認いたします」
紬の目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
「ただし」静音の声に再び厳格さが戻る。「これは新たな責任を意味します。影絵師と記憶番人が手を取り合うということは、これまで以上に重い使命を背負うということです」
「承知しております」朔夜と紬が声を揃えた。
そのとき、庭園の向こうから足音が聞こえてきた。椿野老師が古書を抱えて現れる。
「おや、長老方がいらしていたのですね。お疲れさまです」
「椿野よ、久しぶりだな」静音が微笑んだ。「相変わらず飄々としておる」
「歳を取ると、重々しくしているのも疲れるものでしてね」椿野老師は朔夜の隣に座った。「それより、新しい協力関係はどうなりましたかな?」
「正式に承認されました」朔夜が答えると、椿野老師は満足そうにうなずいた。
「それは良かった。実は、新体制について提案があるのです」
椿野老師は古書を開いた。そこには記憶の管理方法について詳細に記された文献があった。
「想起の間が庭園として生まれ変わったことで、記憶の流れ方も変化します。これまでの保管型から循環型へと移行するのです」
静音が興味深そうに身を乗り出した。
「具体的にはどのような変化が起こるのでしょうか」
「記憶が固定されず、自然に流れ続けることで、より多くの人がアクセスできるようになります。朔夜の影絵もより広範囲に投影可能となるでしょう」
朔夜は驚いた。「それは……もっと多くの人を助けられるということでしょうか」
「そういうことです。ただし、管理も複雑になります。記憶番人と影絵師の密接な連携が不可欠です」
紬が決意を込めて言った。
「朔夜殿となら、必ずや成し遂げられます」
静音は立ち上がった。
「では、新たな体制の第一歩として、朔夜を記憶番人一族の名誉協力者として迎え入れましょう」
庭園に暖かい風が吹き抜ける。記憶の花々が一斉に光を放ち、まるで祝福しているかのようだった。
「ありがとうございます」朔夜は深々と頭を下げた。「この恩に報いるため、全力を尽くします」
長老たちは満足そうに微笑み、やがて庭園を後にした。残された朔夜と紬、そして椿野老師は、新しい未来への希望を胸に、静かに庭園の美しさを眺めていた。
「さあ、新しい物語の始まりですね」椿野老師がつぶやく。
しかし、庭園の奥深くで、かすかな振動が大地を震わせていた。始原の忘却の目覚めは確実に近づいているのだった。