リリアとの関係が新しい段階に入り、食堂全体が温かい雰囲気に包まれていた数日後のことだった。颯太は久しぶりに二階の祖母の部屋を訪れていた。愛用していた茶器や、丁寧に手入れされた調理道具たち。それらを眺めていると、祖母への想いが胸に込み上げてくる。
「おばあちゃん、俺、やっと分かりかけてきたよ。料理の本当の意味が」
颯太は祖母の机の前に座り込んだ。机の上には、まだ整理しきれていない祖母の遺品が並んでいる。その中に、見覚えのない古い革表紙の手帳があった。
手に取ってみると、表紙には「青嵐食堂日記 昭和四十二年」と祖母の字で書かれている。颯太が生まれるずっと前の記録だった。
「これは...」
颯太は恐る恐るページを開いた。几帳面な祖母の文字で、日々の出来事が記されている。最初のうちは普通の食堂の記録に見えたが、ある日の記述で颯太の手が止まった。
『今日もあの扉の向こうから、不思議なお客様がいらした。森の民族の方で、とても礼儀正しく、私の作った煮物を涙を流して喜んでくださった。この扉がなぜ現れたのか、まだ理解できないでいるが、きっと何か意味があるのだろう』
颯太の心臓が激しく鼓動した。祖母も異世界の存在を知っていた。それどころか、実際に異世界の人々と交流していたのだ。
急いでページをめくる。記述は続いていた。
『扉の向こうの世界は「アルカディア大陸」と呼ばれるらしい。様々な種族が暮らす、魔法に満ちた美しい世界だと聞いた。そして私は、料理を通じて二つの世界を繋ぐ役目を与えられているのだという』
「そんな...まさか」
颯太の手が震えた。自分が異世界の扉を見つけたのは偶然ではなかったのか。祖母から受け継いだものだったのか。
『今日はとても大きなドラゴンの方がいらした。最初は恐ろしく感じたが、私の作った肉じゃがを食べて、まるで子供のように喜んでくださった。「人間の料理には、魔法とは違う不思議な力がある」とおっしゃっていた。私にはよく分からないが、お喜びいただけるなら、これからも精一杯おもてなししたいと思う』
颯太の脳裏にグランドの姿が浮かんだ。もしかして、そのドラゴンは...。
階下から足音が聞こえてきた。リリアたちが来店したようだ。颯太は慌てて日記を持って階下に向かった。
「颯太さん、どうしたの?顔が真っ青よ」
リリアが心配そうに颯太を見つめる。グランドとアーサーも異世界から姿を現したところだった。
「実は、これを見つけたんだ」
颯太は震える手で日記をテーブルに置いた。三人の表情が一瞬で変わった。
「これは...」グランドが日記を手に取り、ゆっくりとページをめくる。「懐かしい文字だな」
「グランド様、もしかしてご存知なのですか?」アーサーが驚いて尋ねる。
「ああ」グランドの声に深い感慨がこもっていた。「私が若い頃、この食堂によく通っていた。優しいおばあさんがいてな、いつも温かい料理で迎えてくれた」
颯太の膝が震えた。「そのおばあさんって...」
「颯太の祖母だろうな。君にそっくりの、料理への真摯な想いを持った人だった」
リリアが颯太の手を握った。「颯太さん、これってつまり...」
「そうだ」グランドが頷いた。「颯太、君が偶然この扉を見つけたのではない。君は選ばれたのだ。祖母の意志を継いで、二つの世界を料理で繋ぐために」
颯太は日記を受け取り、再びページをめくった。祖母の言葉が心に染み入る。
『料理には不思議な力がある。言葉が通じなくても、文化が違っても、心は必ず通じ合える。私がこの扉の前に立てたのも、きっと何かの縁なのだろう。この想いを、いつか誰かに託せる日が来ることを願っている』
涙が頬を伝った。祖母は知っていたのだ。いつか自分が、この想いを受け継ぐことを。
「おばあちゃん...」
「颯太さん」リリアが優しく声をかける。「お祖母様は、颯太さんのことを信じていらしたのね」
「そうだな」アーサーも柔らかい表情で言った。「君の料理への想いは、確かに祖母から受け継がれたものだ。だからこそ、我々の心にも響くのだろう」
グランドが立ち上がり、颯太の肩に大きな手を置いた。「颯太、君は一人ではない。祖母の想いも、我々の友情も、すべて君と共にある」
颯太は涙を拭い、顔を上げた。「分かった。俺は祖母の想いを継いで、もっと多くの人に料理で幸せを届けたい。両方の世界で」
「それが君の使命だ」グランドが微笑んだ。「そして我々も、君と共に歩もう」
その時、日記の最後のページに、まだ読んでいない文章があることに気づいた。颯太がページを開くと、そこには祖母の最後のメッセージが書かれていた。
『もし誰かがこの日記を読んでいるなら、きっとその人が私の後継者なのでしょう。料理の力を信じて、両世界の架け橋となってください。そして忘れないで。料理は愛です。作る人の想いが、食べる人の心を温めるのです』
颯太の心に、新たな決意が芽生えた。祖母から受け継いだ使命を、必ず全うしようと。
しかし、その決意を固めた颯太は、まだ知らなかった。祖母の日記には、もう一冊、より重大な秘密が記された巻があることを。そしてその秘密が、やがて颯太たちを前代未聞の冒険に導くことになるとは、この時は誰も想像していなかった。