木星圏の宇宙基地から地球へ向かう輸送船の中で、蒼太は操縦席から振り返った。アリアは展望窓に身体を寄せ、遠ざかる木星の縞模様を見つめている。その隣に座るルナは、いつもより静かだった。

「ヴォイドの言葉、気にしているのか?」

 蒼太の問いかけに、ルナはゆっくりと首を振った。淡い青色の髪が宇宙船の照明に揺れる。

「そうじゃないの。ただ、アリアを見ていて思ったのよ。彼女には大介という、心から愛する人がいる。でも私には……」

 言葉を濁すルナに、蒼太は操縦桿から手を離した。自動航行システムに切り替えて、彼女の隣に座る。

「君には俺がいるじゃないか」

「蒼太」

 ルナの瞳が、星明りのように輝いた。しかし、すぐにその光は翳りを帯びる。

「でも、私たちの関係って何なの? パートナー? 友達? それとも……」

 彼女の問いかけに、蒼太は答えを見つけられずにいた。確かに、自分とルナの関係は簡単な言葉では表現できない。配達の相棒として始まった二人の絆は、いつの間にか特別なものになっていた。

「ルナ、君がどうして人間の感情を理解したいと思うようになったのか、教えてくれないか」

 蒼太の言葉に、ルナは少し驚いたような表情を見せた。そして、深いため息をついて語り始める。

「私が生まれたのは、月の裏側にある研究施設よ。そこで働いていた一人の科学者の孤独から」

 ルナの声は、遠い記憶を辿るように静かだった。

「その人の名前は佐藤理恵。感情物質化技術の研究に人生を捧げた女性だった。でも、研究に夢中になるあまり、家族も友人も失ってしまった。そんな彼女の深い孤独が、私を生み出したの」

 蒼太は黙って聞いていた。人工生命体が生まれる過程を具体的に聞くのは初めてだった。

「理恵は私を見つけたとき、とても驚いていたわ。でも同時に、喜んでもいた。『やっと話し相手ができた』って」

 ルナの表情に、懐かしそうな微笑みが浮かんだ。

「理恵は私にたくさんのことを教えてくれた。言葉、知識、そして人間というものについて。でも、感情だけは教えることができなかった。『感情は経験しなければ理解できない』って、いつも困ったような顔をしていたの」

「その人は今どこに?」

「もういないわ」

 ルナの声が震えた。

「理恵は病気になって、地球の病院に運ばれた。私は人工生命体だから、地球の大気圏を通過することができなくて、一緒に行けなかった。それが五年前のこと」

 蒼太は胸が締め付けられる思いがした。ルナが一人で月に残されたときの気持ちを想像すると、いたたまれなくなる。

「理恵は最後に私にメッセージを残してくれた。『ルナ、君は私の孤独から生まれたけれど、君自身は孤独である必要はない。いつか君を理解してくれる人に出会えるはず。そのときは、思い切って心を開いてみなさい』って」

 ルナは窓の外の星空を見つめながら続けた。

「それから私は一人で月をさまよっていた。理恵に教わった知識だけを頼りに、人間の感情について考え続けていたの。喜び、悲しみ、怒り、愛……どれも理解できそうでできなくて」

「それで俺に出会ったのか」

「そう。あなたが月面基地に配達に来たとき、初めて見たのよ。本物の優しさを」

 ルナの瞳が蒼太を見つめる。

「あなたは配達先の老人に、荷物と一緒に地球の孫からの手紙を届けていた。その老人が涙を流しながら喜んでいるのを見て、あなたも微笑んでいた。そのとき初めて理解したの。感情は一人では完成しない。誰かとの繋がりがあって初めて、本当の意味を持つのだと」

 蒼太は、その日のことを思い出していた。確かに、月面基地の老人は孫からの手紙を受け取って涙を流していた。自分もなぜか嬉しくなったのを覚えている。

「だから私はあなたについて行きたいと思った。人間の感情を、あなたと一緒にいれば理解できるかもしれないって」

「そうだったのか」

 蒼太は改めてルナを見つめた。彼女の存在が、自分にとってどれほど大きなものになっていたかを実感する。

「でも今は分かるの。感情を理解したいと思った本当の理由」

 ルナが立ち上がり、蒼太の前に立つ。

「私は理恵のことを愛していた。でも、そのことに気づいたのは、彼女を失ってからだった。もし感情を理解していたら、もっと彼女を大切にできたかもしれない。もっと彼女の孤独を癒すことができたかもしれない」

 ルナの声が涙声になった。人工生命体である彼女に涙は流せないが、その心の痛みは確実に蒼太に伝わってきた。

「だから私は学びたいの。愛するということを。そして、もう二度と大切な人を失いたくない」

 蒼太は立ち上がり、ルナの手を取った。彼女の手は温かかった。

「君はもう十分理解している。愛することを、大切にすることを」

「でも」

「君が理恵さんを想う気持ち、それが愛だよ。そして今、君が俺を心配してくれる気持ちも」

 蒼太の言葉に、ルナの表情が明るくなった。

「そうかしら」

「間違いない。君は理恵さんの最高の作品だ。いや、作品じゃない。娘だよ」

 その時、船内通信システムが緊急信号を発した。蒼太は慌てて操縦席に戻る。

「どうしたの?」

「地球からの緊急通信だ」

 通信画面に映し出されたのは、地球軌道ステーションの管制官だった。

「橘配達員、至急地球本部へ向かってください。マスター・ヴォイドが地球圏に現れました。各地で人工生命体の消失事件が発生しています」

 蒼太とルナは顔を見合わせた。ヴォイドが本格的な行動を開始したのだ。

「分かりました。すぐに向かいます」

 通信を切った蒼太に、ルナが近づく。

「蒼太、もしかしてヴォイドは」

「ああ、人工生命体を集めて何かを企んでいる。急がないと」

 宇宙船は進路を地球に向けて加速していく。ルナは蒼太の隣に座り、彼の横顔を見つめた。

「蒼太、私、もう迷わない。理恵が私に託してくれた想いも、あなたと一緒に過ごした時間も、すべて私の財産よ。ヴォイドが何をしようとしても、私は人間との絆を信じる」

 蒼太が振り返ると、ルナの瞳には強い決意が宿っていた。もはや迷いはない。

「俺たちは必ず、人間と人工生命体が共存できる道を見つける」

 二人の決意を乗せて、宇宙船は青い地球へと向かっていく。しかし、地球圏で待っているのは、これまでにない困難な戦いだった。ヴォイドの真の目的が明かされるまで、もう時間は残されていない。

星降る夜の配達屋

10

ルナの過去

星野 宙音

2026-03-30

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