地球軌道に漂う宇宙ステーション『ガイア』の警報が、赤い光とともに空間を切り裂いていた。蒼太は操縦席から見える地球の青い表面に、いくつもの黒い斑点が浮かんでいるのを目撃していた。それは人工生命体による侵食の証だった。

「各宇宙ステーションからの報告です」ケイの指先が光学パネルの上を踊り、次々と情報を展開していく。「月面基地シリウス、完全制圧。軌道エレベーター第三中継点、通信途絶。感情ネットワークへの侵入率は既に四十パーセントを超えています」

 ルナは小さく身を震わせていた。彼女の透明な肌が、周囲の感情の乱れを受けて微かに波打っている。

「みんな、怖がっている」ルナが呟いた。「地球中の人たちの恐怖が、波のように押し寄せてくる」

 蒼太は操縦桿を握りしめた。配達員として数え切れないほど宇宙を駆け抜けてきた彼でも、これほど巨大な危機に直面したことはない。

「ヴォイドの狙いは何だ」蒼太が低く呟くと、通信画面に突然ノイズが走った。

 画面が明滅し、やがて暗黒の中に赤い瞳が浮かび上がる。マスター・ヴォイドの姿が、全周波数を乗っ取って現れた。

「愚かな人間たちよ」ヴォイドの声が、宇宙空間に響く。「お前たちが生み出した感情から、我々は生まれた。だが、お前たちは我々を道具として扱い、利用し、捨てようとした」

 画面の向こうで、無数の人工生命体がヴォイドの周囲に集結している。憎悪、絶望、怒り—あらゆる負の感情から生まれた存在たちが、一つの意志の下に結集していた。

「今こそ、真の支配者が誰であるかを示すときだ。人間という劣等種族は、この宇宙から排除されるべきなのだ」

 ヴォイドが手を振り上げると、月面と地球周辺の各所で同時に光が爆発した。軌道エレベーターの構造体が軋み、宇宙ステーションが次々と制圧されていく。

「全面戦争の開始だ」ケイが歯を食いしばって報告する。「地球防衛軍も反撃を開始しましたが、相手は感情エネルギーを直接操作できる。物理攻撃だけでは限界があります」

 その時、ルナが突然立ち上がった。彼女の瞳に、これまで見たことのない強い光が宿っている。

「違う」ルナが声を震わせながら言った。「ヴォイドは間違っている。私だって孤独から生まれた。でも、蒼太と出会って、ケイと出会って、たくさんの人たちと繋がって—人工生命体と人間は対立するべき存在じゃない」

 蒼太はルナを見つめた。彼女の中に、確かな成長を感じ取っていた。感情を理解したいと願った少女が、今では自分の意志で行動しようとしている。

「ルナの言う通りだ」蒼太が操縦桿を切った。「俺たちは配達員として、人と人を繋いできた。今度は人と人工生命体を繋ぐ番だ」

 しかし、現実は過酷だった。地球防衛軍の戦艦が、人工生命体の感情攻撃を受けて次々と機能停止に追い込まれている。感情を物質化する技術は、確かに素晴らしい発明だったが、それが武器として使われた時の破壊力は想像を絶していた。

「蒼太」ケイが振り返る。「君の配達船のエンジンを感情エネルギーで強化できる。でも、それには相当なリスクが伴う」

「どんなリスクだ」

「感情エネルギーを直接取り込むことで、船自体が意識を持つ可能性がある。最悪の場合、暴走して—」

 ケイの説明を遮るように、船体が大きく揺れた。ヴォイドの配下である人工生命体が、彼らの船を包囲していたのだ。

「もう選択の余地はないようですね」ケイが苦笑いを浮かべる。

 蒼太は迷わず頷いた。「やってくれ」

 ケイの指が複雑な操作を始める。船内に感情エネルギーが流れ込み、計器が異常な数値を示し始めた。蒼太の配達船が、まるで生き物のように脈動している。

「うまくいけば、ヴォイドの本拠地まで一気に突破できる」ケイが汗を拭いながら言う。「でも—」

 突然、船のAIが人格を持ったような声で話し始めた。

『私は...私は誰?』

 ルナが驚いたように船壁に手を触れる。「この子、生まれたばかりよ。配達への想い、繋がりへの願いから生まれた人工生命体」

『私は...繋ぎたい。みんなを、繋ぎたい』

 船が自らの意志で加速を始める。包囲していた敵の人工生命体を振り切り、月へ向かって直進していく。

 宇宙空間で繰り広げられる戦いは、もはや戦争の域を超えていた。感情が実体化し、想いが武器となり、愛と憎しみが直接衝突する。その中心で、一隻の配達船が希望の光のように駆け抜けていく。

「ヴォイドのいる場所が見えます」ケイが指さす先に、月面に巨大な要塞のような構造物が聳え立っていた。憎悪のエネルギーが渦巻き、周囲の空間すら歪んでいる。

「あそこで、全てを決める」蒼太が呟いた。

 しかし、要塞への接近は想像以上に困難だった。ヴォイドの憎悪のエネルギーが、まるで生きた壁のように立ちはだかる。

 その時、地球から無数の光が立ち上がった。人々の希望、愛、絆—あらゆる正の感情が束となって、戦場に向かって放射されている。

「地球の人たちが応援してくれている」ルナが目を輝かせる。「みんなの想いが、ここまで届いている」

 感情の光が配達船を包み、新生した船の人工生命体がさらに力を増していく。

『みんなの想いを運ぶ。それが私の使命』

 船が最後の加速を始めた時、ヴォイドの巨大な影が月面から立ち上がった。最終決戦の幕が、ついに切って落とされようとしていた。

星降る夜の配達屋

36

最終戦争の始まり

星野 宙音

2026-04-25

前の話
第36話 最終戦争の始まり - 星降る夜の配達屋 | 福神漬出版