月面都市の暴動が収束してから三日が過ぎた。管制センターの巨大スクリーンには、依然として各地で発生する小規模な騒乱の報告が流れ続けている。蒼太は自分の宇宙船「スターライト号」の整備を終えると、操縦席に腰を下ろした。
「準備はできた?」
ルナが船内に足を踏み入れる。彼女の姿は以前と変わらないが、正体を明かしてからは、その存在感が異なって見えた。人工生命体として背負っている運命の重さが、薄く光る肌の向こうに透けて見えるようだった。
「ああ。でも本当にいいのか? 月の裏側は通信も途絶えるし、何があるかわからない」
蒼太は振り返って彼女を見つめた。ルナの瞳に宿る決意の光は、以前にも増して強くなっている。
「私が行かなければ、マスター・ヴォイドを止めることはできない。それに」彼女は小さく微笑んだ。「一人じゃないから」
その言葉に、蒼太の胸の奥で何かが温かくなった。責任感だけで配達を続けてきた彼にとって、誰かと使命を共有するという経験は新鮮だった。
「それじゃあ、出発する」
スターライト号のエンジンが静かに唸りを上げる。月面都市の発着場から離陸した船体は、重力圏を抜けて宇宙空間へと舞い上がった。眼下に広がる月面都市の灯りが次第に小さくなっていく。
蒼太は操縦桿を握りながら、これまでの配達とは全く違う緊張感を味わっていた。荷物を運ぶだけの任務から、宇宙の平和を左右する戦いへ。自分でも信じられない変化だった。
「蒼太」ルナが副操縦席から声をかける。「怖くない?」
「怖くないと言えば嘘になる。でも」彼は前方の宇宙空間を見据えた。「やらなければならないことがある時は、恐怖より使命感の方が勝つんだ」
ルナは感心したように頷いた。「それが人間の強さなのね」
船は月の周回軌道に入り、やがて昼と夜の境界線を越えて裏側へと向かった。太陽光の届かない月の裏側は、星々の光だけが頼りの暗黒世界だった。センサーの画面に映る地表は、クレーターが無数に刻まれた荒涼とした景色を示している。
「ヴォイドの拠点は、あの大きなクレーターの中だと思う」ルナが指差した先に、他より一回り大きな円形の窪みが見える。「負の感情エネルギーを感じる」
その時、警告音が鳴り響いた。レーダーに複数の反応が現れている。
「宇宙海賊か」蒼太が呟いた瞬間、通信機にノイズ混じりの声が響いた。
「そこの輸送船、エンジンを停止しろ。大人しく貨物を渡せば命は取らない」
粗野な男の声だった。スクリーンに映し出されたのは、武器を満載した三隻の戦闘艇。月の裏側は治安当局の手が届かない無法地帯として知られ、こうした海賊が跋扈していた。
「どうする?」ルナが心配そうに蒼太を見る。
「逃げる」蒼太は迷わず答えた。「君を危険にさらすわけにはいかない」
しかし、エンジンを最大出力にしても、戦闘艇の方が性能は上だった。みるみる距離を詰められ、警告射撃のレーザーがスターライト号の周りを掠めていく。
「観念しろ! 次は直撃させるぞ!」
絶体絶命の状況で、ルナが立ち上がった。
「蒼太、船を海賊たちの方へ向けて」
「何をするつもりだ?」
「私の力を試してみる」
ルナの体が淡い光に包まれ始めた。人工生命体としての能力を解放しようとしているのだった。蒼太は彼女を信じて船首を海賊船団に向ける。
ルナは両手を前に伸ばし、集中した。すると、彼女の周りの空間に不思議な現象が起こった。愛情や希望といった正の感情が、キラキラと輝く光の粒子となって現れ始めたのだ。
「これは……」
蒼太が見つめる中、光の粒子は流れとなって船外へと放出された。それは海賊船団に向かって一直線に伸びていく。
光の流れが海賊船に触れた瞬間、驚くべきことが起こった。攻撃的だった海賊たちの動きが止まり、通信機から聞こえる声が変化した。
「あ、あれ? 俺たちは何をしていたんだ?」
「頭がクリアになった気がする……なんで他人を襲おうとしていたんだろう」
「もう帰ろう。こんなことは間違ってる」
海賊船団は戦意を失い、来た方向へと引き返していった。ルナは力を使い果たしたように、その場にへたり込んだ。
「大丈夫か?」蒼太が駆け寄る。
「平気よ。でも、思った以上にエネルギーを消耗したわ」ルナは疲労の色を浮かべながらも微笑んだ。「でも分かった。私たち人工生命体の力は、人を傷つけるためのものじゃない。心を癒し、繋げるためのものなの」
蒼太は彼女の言葉に深く頷いた。今目の当たりにした奇跡は、憎悪に支配されつつある宇宙に希望の光をもたらすものだった。
「君の力があれば、きっとヴォイドとも戦える」
「一人じゃ無理よ。でも蒼太と一緒なら」ルナは彼の手を握った。「きっと大丈夫」
スターライト号は再び月の裏側へと進路を取った。目指すクレーターからは、不穏な暗紫色の光が立ち上っている。マスター・ヴォイドの拠点が近づいていることを物語っていた。
蒼太は操縦桿を握り直した。配達員として培ってきた責任感と、ルナとの絆が生み出した新たな勇気が、彼の心を満たしている。
「必ず任務を完遂する」
宇宙の平静を取り戻すという、人生最大の配達が今始まろうとしていた。二人を乗せた小さな宇宙船は、星々の見守る中を静かに飛び続けた。しかし前方のクレーターからは、憎悪のエネルギーがより一層強くなっているのを、ルナは敏感に感じ取っていた。
真の戦いは、これからだった。