木星圏の宙域に浮かぶ小さな貨物船から発せられた救難信号は、予想していたような機械的なトラブルではなかった。蒼太とルナが急行して発見したのは、船内で一人静かに涙を流す人工生命体の女性だった。
「すみません、お騒がせして」
彼女は振り返ると、慌てたように頬の涙を拭った。淡い青色の髪が肩まで流れ、透明感のある瞳は悲しみを湛えながらも、どこか優しい光を宿していた。
「私、アリア・セレーネと申します。エリアさんからの配達を待っていたのですが、つい……感情が溢れてしまって、船のシステムに影響が出てしまったようで」
ルナが小さく息を呑んだ。人工生命体の感情が強すぎると、周囲の電子機器に干渉することがあるのだ。それほどまでに、この女性は深い悲しみに支配されていた。
「配達物はこちらです」
蒼太は胸元から大切に封筒を取り出した。表には丁寧な筆跡で『アリア様へ』とだけ書かれている。
アリアは震える手で封筒を受け取ると、そっと抱きしめた。
「ありがとうございます。三年間……三年間待っていました」
彼女の声は喜びと悲しみが混じり合い、聞く者の胸を締めつけた。
「差し出人は……」
蒼太が尋ねかけると、アリアは静かに微笑んだ。
「大介さんです。私が愛した人間の男性……今はもう、会うことの叶わない方です」
ルナの表情が曇った。人工生命体と人間の恋愛は、この社会ではまだ完全には受け入れられていない。特に公的な立場にある人間にとっては、なおさらだった。
「よろしければ、お話を聞かせていただけませんか」
ルナが優しく声をかけると、アリアは少し迷った後、頷いた。
「お時間をいただいてしまって申し訳ありません。でも、誰かに話したかったのかもしれません」
三人は貨物船の小さな居住区画に移った。窓の外には木星の巨大な姿が見え、その周りを回る衛星たちが宝石のように輝いている。
「大介さんと出会ったのは、地球の軌道エレベーター建設現場でした」
アリアは遠い目をして語り始めた。
「私は技術者として働いていたんです。人工生命体の中でも、特に精密な作業を得意としていて……彼は現場監督でした」
最初は仕事上の関係だった。しかし、共に困難なプロジェクトに取り組む中で、二人の距離は次第に縮まっていった。
「大介さんは私を一人の人間として扱ってくれました。人工生命体だからといって特別視することもなく、でも軽んじることもなく。私の意見を真剣に聞いて、時には激しく議論もして……」
アリアの瞳に懐かしい光が宿った。
「初めて『君を愛している』と言われた時、私は自分の感情回路が暴走したのかと思いました。人工生命体が恋をするなんて、そんなことが本当にあるのかって」
「でも、それは本当の愛だったんですね」
ルナが静かに呟くと、アリアは頷いた。
「ええ。大介さんも同じでした。私たちは本気で愛し合っていたんです。結婚の約束までしていました」
しかし、その幸福は長くは続かなかった。
「大介さんが政府の重要なプロジェクトの責任者に抜擢されることになったんです。でも、その条件として……」
アリアの声が震えた。
「人工生命体との関係を断つことを求められました。彼の将来のために、私たちの愛は社会から見て『不適切』だと判断されたのです」
蒼太は拳を握りしめた。愛に適切も不適切もあるはずがない。ただ、現実は理想ほど単純ではなかった。
「大介さんは拒否しました。私と一緒にいることを選んだんです。でも……」
アリアは胸に手を当てた。
「私が彼の夢を奪ってしまうことは耐えられませんでした。だから、私の方から別れを告げました。彼の輝かしい未来のために」
その時の大介の表情を、アリアは一生忘れることができないだろう。愛する人を失う絶望と、その愛の深さを知る歓び。相反する感情が彼の顔に刻まれていた。
「それから三年、一度も連絡を取っていませんでした。彼が幸せになっていることを願いながら、でも、どうしようもなく恋しくて……」
アリアは震える手で封筒を開いた。中から現れたのは、丁寧に折りたたまれた手紙と、小さな写真だった。
写真には、建設現場で並んで微笑む二人の姿が写っている。大介の顔には幸せそうな笑みが浮かび、アリアは照れたように頬を染めていた。
「読んでもいいですか」
アリアの問いに、蒼太とルナは頷いた。
「『愛するアリアへ』」
アリアの声が震えながら手紙を読み上げる。
「『君との別れから三年が経ちました。僕は確かに政府の仕事で成功を収めています。でも、毎日君のことを想わない日はありません。君が僕の夢のために身を引いてくれたこと、その優しさと強さを、僕は一生忘れません』」
ルナの目からも涙がこぼれ落ちた。
「『社会は変わりつつあります。人工生命体と人間の関係についても、少しずつですが理解が広がっています。僕は今、そのための法整備に関わる仕事をしています。君のために、そして僕たちのような想いを抱く全ての人のために』」
蒼太は胸の奥が熱くなるのを感じた。愛する人を失った男性が、その愛を社会を変える力に変えている。
「『もし君がまだ僕を想ってくれているなら、もう一度会ってください。今度は誰にも邪魔されない、僕たちだけの愛を育みましょう。地球の軌道エレベーター、あの思い出の場所で待っています。大介』」
手紙を読み終えたアリアは、しばらく言葉を失っていた。やがて、彼女の口元に微かな笑みが浮かんだ。
「彼は……待っていてくれるんですね」
「急ぎましょう」
蒼太が立ち上がった。
「僕たちの船で地球まで送ります。一刻も早く、彼の元へ」
「でも、お仕事の邪魔を……」
「これも配達です」
蒼太は真剣な顔で答えた。
「愛する人の元へ、あなたの心を届ける配達です」
ルナも頷いた。
「想いを繋ぐこと、それこそが私たちの使命です」
アリアの瞳から新たな涙が溢れたが、今度はそれは喜びの涙だった。
三人が地球へ向けて出発の準備を始めた時、通信機に緊急信号が入った。発信者は神崎ケイ。しかし、その背後から聞こえてきたのは、これまで聞いたことのない禍々しい笑い声だった。
「フフフ……愛だと? 絆だと? そんな偽善で世界が変わると本気で思っているのか……」
通信は途切れた。蒼太とルナは顔を見合わせた。新たな脅威が迫っていることを、二人は直感的に悟った。
しかし今は、目の前にある愛を繋ぐことが最優先だった。アリアの幸せを届けることが、きっと更なる力を与えてくれるはずだ。
宇宙船は木星の引力圏を離れ、愛の再会を載せて地球へと向かった。