窓の外を見つめながら、楓は機械的に茶葉を整理していた。心を封印してから三日が過ぎ、茶房はいつもの静寂に包まれている。客足は相変わらず少なく、今日も午後になって春香だけが訪れていた。
「楓ちゃん、そのお茶の葉、さっきから同じ缶に入れ直してるよ」
春香の声に、楓は手を止めた。確かに言われてみれば、同じ作業を繰り返していたようだった。感情を押し殺した今の自分には、そうした細かな変化も気づきにくくなっている。
「ごめんなさい。少し考え事をしていました」
「考え事ねえ…」
春香は温かな紅茶のカップを両手で包み込むようにして、楓の様子を見つめていた。普段なら明るく笑い飛ばしてくれる親友も、今日は何か深刻な表情を浮かべている。
「楓ちゃん、私たち何年の付き合いだっけ?」
唐突な質問に、楓は振り返った。
「小学校からですから、もう十五年ほどになりますね」
「そうよね。長い付き合いよ」
春香は紅茶に口をつけると、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。
「私ね、実は昔から気づいてたの。楓ちゃんが他の人とは違うってこと」
楓の手が、わずかに震えた。心を封印していても、親友からのこの言葉には反応せずにはいられない。
「小学生の頃から、楓ちゃんは時々すごく遠い目をしていた。みんなが笑ってる時でも、一人だけ違う世界を見てるような、そんな表情をすることがあった」
春香の声は優しく、責めるような調子は微塵もない。ただ、長年胸に秘めていた想いを静かに吐露している。
「中学に上がってからは、もっとはっきりしたわ。楓ちゃんは人の気持ちがわかりすぎるのよね。誰かが落ち込んでいると、言われなくても気づいて、そっと寄り添ってくれた。でも、そのせいで楓ちゃん自身が疲れ切ってしまうことも多くて」
楓は茶葉の缶を握りしめた。春香がそこまで自分を見ていてくれたことに、胸の奥で何かが熱くなる。
「高校の時、楓ちゃんが突然この茶房で働き始めるって言った時も、私は驚かなかった。むしろ、ああやっぱりって思ったの。楓ちゃんにとって、ここが特別な場所だってことは、なんとなくわかっていたから」
春香は立ち上がると、カウンターの向こう側にいる楓の方へ歩いてきた。
「楓ちゃん、私に隠し事があるのはわかってる。でも、それを問い詰めるつもりはないの。ただ…」
春香は楓の手を優しく握った。
「どんな楓ちゃんでも、私は楓ちゃんの味方だから。それだけは信じて欲しいの」
楓の目に、涙がにじんだ。心を封印したはずなのに、親友の温かな言葉は確実に胸の奥に届いている。
「春香さん…」
「変な能力を持ってても、普通じゃない悩みを抱えてても、楓ちゃんは楓ちゃんよ。私の大切な親友で、誰よりも優しくて、誰よりも人を大切にする子」
春香の声が少し震えている。彼女もまた、長い間この想いを胸に秘めていたのだろう。
「実はね、私も少し特別なの」
楓は驚いて春香を見つめた。
「私には楓ちゃんほどはっきりした力はないけれど、楓ちゃんの心の動きだけは、なんとなくわかるのよ。嬉しい時、悲しい時、そして今みたいに無理をしている時も」
春香は微笑みながら続けた。
「だから知ってるの。今の楓ちゃんが、本当の楓ちゃんじゃないってことも」
楓の心の封印が、少しずつ緩んでいくのを感じた。親友の無条件の愛情が、凍りついた心を静かに溶かしていく。
「春香さん、私…」
「言わなくてもいいのよ。でも、一人で抱え込まないで。楓ちゃんがどんな運命を背負ってても、私はずっと楓ちゃんの側にいるから」
涙がとめどなく流れ出した。楓は春香の手を握り返しながら、小さく震えていた。
「ありがとう。ずっと、ずっと一人だと思っていました」
「一人なんかじゃないわよ。楓ちゃんには私がいるし、この茶房を愛してくれるお客さんたちもいる。そして…」
春香は少し意味深に微笑んだ。
「あの時雨さんも、きっと楓ちゃんのことを大切に思ってくれてるはず」
楓の頬が、わずかに赤らんだ。
「春香さん、あなたまで時雨のことを…」
「女の勘よ。あの人が楓ちゃんを見る目、普通じゃないもの。それに、楓ちゃんも時雨さんの話をする時は、いつもと違う表情をするのよ」
楓は恥ずかしそうに俯いた。心の封印が解けかけている今、感情が表情に現れやすくなっている。
「でも、私たちは…」
「複雑な事情があるのね。でも、楓ちゃん、大切なのは気持ちよ。お互いを想い合っているなら、きっと道は開けるはず」
その時、茶房の扉が静かに開いた。入ってきたのは時雨だった。彼は楓と春香の様子を見て、少し躊躇したような表情を見せる。
「お邪魔でしたか?」
「いえいえ、ちょうど良いタイミングよ」
春香は立ち上がると、意味深な笑みを浮かべて時雨を見つめた。
「時雨さん、楓ちゃんをお願いします。この子、一人で頑張りすぎる癖があるから」
時雨は驚いたような表情を見せたが、すぐに深くうなずいた。
「はい。必ず」
春香は満足そうに微笑むと、楓に向き直った。
「楓ちゃん、私はいつでも楓ちゃんの味方よ。忘れないで」
そう言い残すと、春香は茶房を後にした。残された楓と時雨は、しばらく無言で見つめ合っていた。楓の心の封印は、親友の愛情によって確実に溶け始めている。そして今、運命の相手と再び向き合う時が来ていた。