朝七時、アラームが鳴る。田中は瞬時に目を覚まし、ベッドから起き上がった。洗面台で顔を洗い、歯を磨く。三分間。鏡に映る自分の顔は、昨日と同じように整っている。
朝食は栄養バランスの計算された定食。味は薄いが、必要な栄養素は全て含まれている。テレビでは今日の天候と、市民の模範的行動について報道していた。田中は食事を終えると、黒いスーツに身を包み、家を出た。
通勤電車は定刻通り。車内では全員が静かに前方を見つめている。会話は禁止されていないが、誰もしない。田中も同じように、窓の外を眺めながら会社へ向かった。
オフィスでは与えられた業務を粛々とこなす。効率的で、無駄がない。同僚たちも同様だった。昼食時間になると、全員が同じメニューの弁当を食べる。午後の業務も滞りなく進み、定刻に終了した。
帰宅後、田中は夕食を摂り、入浴し、テレビでニュースを見た。どの番組も明るい話題ばかりだった。犯罪は起きていない。事故もない。病気も治療されている。完璧な社会の完璧な一日だった。
就寝前、田中は日記を書く。決められた形式に従って、その日の出来事と感想を記録する。「今日も平穏な一日でした。社会の秩序が保たれ、幸福です」と書いた。
布団に入り、天井を見上げる。明日もまた同じ一日が始まる。同じ時間に起き、同じものを食べ、同じ仕事をする。それは保証されている。
田中は目を閉じた。夢を見ることはない。夢は管理されていないからだ。睡眠薬のおかげで、朝まで深い眠りにつく。
部屋の隅で、小さな赤いランプが点滅していた。監視カメラが今日一日の田中の行動を記録し、中央コンピューターに送信している。画面には「市民番号7834:異常行動なし」と表示された。
翌朝、また同じアラームが鳴る。田中は目を覚まし、ベッドから起き上がった。今日も完璧な一日が始まる。
だが今朝、田中の心の奥底で何かが囁いた。「これでいいのだろうか」と。その疑問は一瞬で消え去ったが、監視システムは微細な脳波の変化を検知していた。画面に新しい表示が現れる。
「市民番号7834:要観察対象に指定」
田中は何も知らずに、いつものように洗面台へ向かった。鏡の中の自分は、昨日と同じように見えた。しかし、何かが違っていた。その違いに気づくのは、まだ先のことだった。