葬儀社の控室で、三人は互いに目を合わせなかった。
長男の哲也は窓の外を見ていた。次男の康介はスマートフォンを膝に伏せたまま触らなかった。長女の由紀子だけが、喪服の裾を何度も手で撫でていた。
父が死んだ。それだけが、三人の共通点だった。
「弁護士の先生が来られました」
係員に促され、三人は会議室へ移った。テーブルには封筒が一つ。父の筆跡で「最後に」と書かれていた。
弁護士の宮下は眼鏡を外し、封筒を開けた。
「お父様の遺言を読み上げます。まず、哲也さんへ」
哲也は姿勢を正した。
「『お前は幼い頃から嘘が下手だった。三十年前、居間の花瓶を割ったのはお前だ。庭師のせいにしたのを、父は知っていた』」
哲也の耳が赤くなった。宮下は続けた。
「次に、康介さんへ」
康介が顎を引いた。
「『お前が二十五歳のとき、会社の金を十万円、一時的に借りた。すぐに戻したから誰も気づかなかったが、父は気づいていた』」
康介の膝の上で、スマートフォンが静かに滑り落ちた。
「最後に、由紀子さんへ」
由紀子は喪服の裾を握りしめた。
「『お前が夫の浮気を知って、それでも黙っていたのは、お前自身にも後ろめたいことがあったからだろう。父には分かっていた』」
三人は押し黙った。宮下が封筒を置いた。
「以上が遺言の全文です」
哲也が口を開いた。
「財産の話は」
「ございません」
「慈善団体への寄付、とかも」
「何も」
由紀子が小さく笑った。笑うつもりはなかったのだが、止まらなかった。康介も釣られた。哲也は最後まで笑わなかったが、口元が歪んだ。
父らしい、と三人は思った。財産よりも、これを渡したかったのだ。墓まで持っていくはずの秘密を、死の土産に持ち帰らせる。それが父という人間だった。
三人は少しだけ、仲良くなった気がした。共犯者のように。
控室へ戻る途中、哲也が宮下に小声で尋ねた。
「先生、あの封筒……父が直接、先生に渡したんですか」
「いいえ」宮下は答えた。「三週間前に郵送で届きました。お父様が入院される、少し前のことです」
哲也は立ち止まった。
「入院前、ですか」
「ええ。消印は十一月三日です」
哲也は何も言わなかった。
父が入院したのは、十一月十七日だった。
由紀子が夫の浮気を知ったのは、十一月二十日のことだ。由紀子自身、そう言っていた。つい先月、哲也に電話で泣きながら。
廊下の窓の外、冬の空が白く光っていた。