時層図書館の中枢から響いた不吉な音は、まるで大地が裂けるような轟音だった。陽菜たちが明治時代の書架から急いで戻ると、図書館の最深部にある時の番人の間から眩い光が漏れ出している。
「これは一体……」
晴明の表情が険しくなる。彼の式神たちが慌ただしく飛び回り、異常事態を知らせていた。
その時、光の中から一つの人影が現れた。全身を銀色の装束に包み、頭部には複雑な回路が描かれた仮面を着けた人物だった。手には見たこともない形状の装置を携えている。
「ようやく辿り着けた」
仮面の向こうから聞こえる声は、どこか機械的でありながら温かみがあった。
「あなたは……」
陽菜が声をかけようとした時、その人物が仮面を外した。現れたのは陽菜と同じくらいの年頃の少女の顔だったが、瞳の奥に深い知恵と憂いを宿していた。
「私は時雨蒼。二一五〇年から来た記録者です」
蒼と名乗った少女は、陽菜を見つめて微笑んだ。
「時雨? まさか、私と同じ……」
「ええ、あなたの末裔です。正確には、ひ孫のひ孫にあたるでしょうか」
陽菜は驚愕した。自分の血を引く者が、遥か未来からやってきたのだ。
「未来から来たとな。それは興味深い」
北斎が興奮気味に蒼を見つめる。
「お嬢さん、その装置は何だい? 見たこともない形をしているが」
「時空安定化装置です」
蒼が手にした装置を皆に見せる。透明な球体の中で光の粒子が複雑な軌道を描いて回転していた。
「未来では、時層図書館の存在は秘匿されながらも、一部の研究機関で時空理論として研究されています。この装置があれば、時喰いの侵食をある程度防ぐことができるはずです」
エジソン明治が目を輝かせて装置に近づいた。
「素晴らしい! この技術は我々の時代をはるかに超越している。しかし、どうやって過去に来ることができたのですか?」
「それが問題なのです」
蒼の表情が曇った。
「本来、未来から過去への移動は禁じられています。しかし、緊急事態が発生したのです」
蒼は図書館の中央に装置を設置しながら語り始めた。
「二一五〇年の世界では、科学技術が高度に発達し、人類は宇宙にまで進出しています。しかし、六か月前から異変が起こり始めました」
「異変?」
「人々の記憶が消え始めたのです。最初は些細なことでした。昨日食べた食事を忘れる、友人の名前が思い出せない。しかし、やがてそれは人類の歴史そのものを蝕み始めました」
陽菜の血の気が引いた。
「まさか、時喰いが……」
「はい。虚無の収集家の影響は、もはや現在だけでなく未来にまで及んでいるのです」
晴明が神妙な表情で頷いた。
「時の流れは一つながりだからな。過去が破壊されれば、必然的に未来も影響を受ける」
「我々の時代では、最新のAIが過去の記録を分析し、異常の原因を突き止めました。そして分かったのが、二〇二四年のこの図書館で起こっている戦いが、すべての鍵を握っているということです」
蒼は装置を起動させた。図書館全体に柔らかな光が広がり、不安定だった書架の揺らぎが収まっていく。
「この装置で一時的に図書館を安定化できますが、根本的な解決にはなりません。虚無の収集家を止めなければ、すべての時代が消滅してしまいます」
北斎が拳を握りしめた。
「なるほど、それで未来から援軍に来てくれたわけか。心強いじゃないか!」
「しかし、時間がありません」
蒼が振り返ると、その瞳に切迫した光があった。
「私が過去に来てから、未来世界の侵食は加速しています。恐らく、時間移動そのものが虚無の収集家に察知されたのでしょう」
陽菜は自分の使命の重さを改めて感じていた。現代だけでなく、未来の世界までもが自分たちの戦いの結果にかかっているのだ。
「蒼さん、未来の技術で虚無の収集家の正体が分かったりはしませんか?」
「それが……」
蒼は困ったような表情を見せた。
「AIの分析によると、虚無の収集家は単純な悪意の存在ではないようです。むしろ、深い悲しみや絶望から生まれた存在である可能性が高いとされています」
「悲しみ……?」
陽菜の心に、これまでの戦いで感じた違和感がよみがえった。時喰いとの戦いの中で、時折感じていた切ない感情。それは敵意ではなく、何かを失った者の叫びのようだった。
「もしかして、虚無の収集家は記憶を消そうとしているのではなく……」
「何かを忘れようとしているのかもしれません」
晴明が陽菜の言葉を受けて呟いた。
「忘れることでしか癒やされない痛みを抱えているのであれば、すべてを無に帰そうとする行動も理解できる」
エジソン明治が装置の分析を終えて振り返った。
「蒼さんの技術と我々の力を合わせれば、虚無の収集家と直接対話することも可能かもしれません」
「対話……」
北斎が考え込むような表情を見せた。
「確かに、ずっと戦うばかりだったが、相手の話を聞くという発想はなかったな」
その時、図書館の奥から再び不穏な響きが聞こえてきた。今度はより深く、より重い音だった。
「来ます」
蒼が装置のディスプレイを確認して警告した。
「虚無の収集家が動き始めました。規模は今までとは比較になりません」
陽菜は仲間たちを見回した。晴明の冷静さ、北斎の情熱、明治の知恵、そして蒼の先進技術。すべてが揃った今こそ、真の戦いが始まる時だった。
「みんな、私たちは戦うだけでなく、虚無の収集家の心に寄り添うことを忘れないでいましょう」
陽菜の言葉に、仲間たちが頷いた。
図書館の最深部から、かつてない規模の暗闇が湧き上がろうとしていた。しかし陽菜たちの絆は、未来からの援軍を得てより強固なものとなっていた。
すべての時代の記憶を賭けた、最後の戦いが始まろうとしていた。