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青嵐食堂の異世界料理人

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古代ドラゴンの来訪

春野 美味 | 2026-03-24

森の扉をくぐって食堂に戻った颯太の心には、まだリリアとの温かい時間の余韻が残っていた。久しぶりに料理を作る楽しさを思い出した喜びが、胸の奥でひっそりと燃えている。それは小さな炎だったが、確実に熱を帯びていた。

 「よし、明日からまた頑張ろう」

 颯太は小さくつぶやきながら、食堂の電気を消そうと手を伸ばした。その時だった。

 ドン、ドン、ドンッ。

 まるで太鼓を叩くような重い音が食堂の扉を震わせた。颯太の手が止まる。こんな夜遅くに客が来るなんて。しかも、この音の重さは普通じゃない。

 「はい、どちら様でしょうか」

 恐る恐る扉に近づいて声をかけた瞬間、扉が軋み音を立てて開いた。いや、開いたというより、押し開かれたという表現が正しかった。

 颯太の目の前に現れたのは、想像を絶する光景だった。

 巨大な頭部が食堂の入り口を埋め尽くしていた。深い緑色の鱗に覆われ、琥珀色の瞳が暗闇の中で金色に光っている。その瞳は颯太を見つめていた。

 「ド、ドラゴン……」

 颯太の声は震えていた。足が竦んで動けない。これは夢なのか。それとも現実なのか。頭の中が真っ白になる。

 巨大な頭部がゆっくりと動いた。そして、低く響く声が食堂に響く。

 「人間よ、恐れることはない。我は古代ドラゴンのグランド。貴様に害を与えるつもりはない」

 声は確かに威厳に満ちていたが、不思議と敌意は感じられなかった。それでも颯太の心臓は激しく鼓動していた。

 「あ、あの……何か、ご用でしょうか」

 震え声で尋ねる颯太に、グランドは少し困ったような表情を見せた。

 「実は……」

 古代ドラゴンが言いよどむ姿は、なんとも奇妙だった。颯太の恐怖心が少しだけ和らぐ。

 「先ほどから、この方角から実に良い匂いが漂ってきているのだ。それで、つい……」

 「匂い、ですか?」

 颯太は首をかしげた。そういえば、さっきリリアと一緒に野菜炒めを作った時の匂いが、まだ食堂に残っているかもしれない。

 「そうだ。我は長い間生きているが、これほど心をくすぐる香りは初めてだった。一体何なのか、確かめずにはいられなくなった」

 グランドの瞳に、期待の光が宿っているのが分かった。颯太は思わず笑いそうになる。古代ドラゴンが料理の匂いに釣られてやってきたなんて、なんとも微笑ましい話だった。

 「それでしたら、中へどうぞ……って、入れませんね」

 食堂の入り口は、グランドの頭部だけで完全に塞がっていた。体全体が入るなんて到底無理だ。

 「心配無用だ」

 グランドがそう言うと、その巨体が光に包まれた。まばゆい光の中で、ドラゴンの姿がみるみる小さくなっていく。光が収まった時、そこには人間大の小さなドラゴンが立っていた。

 「変身魔法です。これなら問題ないでしょう」

 小さくなったグランドは、それでもやはり威厳を保っていた。深緑の鱗は美しく輝き、琥珀の瞳は知性に溢れている。

 「す、すごいですね。どうぞ、中へ」

 颯太は慌てて道を開けた。グランドが食堂に入ってくると、空間全体に何か特別な気配が漂った。

 「良い店構えだ。清潔で、料理に対する敬意を感じる」

 グランドは食堂を見回しながら頷いた。その評価に、颯太は少し誇らしい気持ちになる。

 「ありがとうございます。えっと、お食事をご希望でしょうか」

 「ぜひお願いしたい。先ほどの匂いの正体を、この舌で確かめてみたい」

 グランドがカウンター席に座ると、颯太は慌ててキッチンに向かった。しかし、何を作ればいいのか分からない。ドラゴンは一体何を食べるのだろうか。

 「あの、グランドさん。何かお好みはありますか?」

 「我は雑食だ。ただし、美味いものでなければ意味がない。貴様の得意料理を頼む」

 得意料理。颯太の胸が少し痛んだ。以前なら迷わず答えられたのに、今は自信がない。でも、さっきリリアのために作った野菜炒めは上手くできた。あれなら……。

 「分かりました。少々お待ちください」

 颯太は気を取り直してキッチンに立った。冷蔵庫から野菜を取り出し、手際よく切り始める。さっきとは違う食材だが、基本は同じだ。

 フライパンを熱し、油を敷く。野菜を炒める音が食堂に響いた。その音を聞きながら、グランドは興味深そうに見つめている。

 「良い音だ。鍋を扱う手つきも見事だ」

 「ありがとうございます」

 グランドの称賛に、颯太の手に少しずつ自信が戻ってくる。野菜がちょうど良い具合に炒まったところで、醤油ベースの調味料で味を調えた。

 「お待たせしました」

 颯太は出来上がった野菜炒めをグランドの前に置いた。湯気と共に立ち上る香りに、グランドの瞳が輝く。

 「これが、あの匂いの正体か」

 グランドは慎重に箸を取った。ドラゴンが箸を使う姿も不思議だったが、その手つきは実に上品だった。

 一口食べた瞬間、グランドの表情が変わった。驚きと感動が入り混じった表情で、颯太を見つめる。

 「これは……素晴らしい」

 「本当ですか?」

 「間違いない。この味わい、この食感。野菜本来の甘みを最大限に引き出し、調味料との調和も完璧だ」

 グランドは感動しながらも、着実に料理を平らげていく。その食べっぷりを見ていると、颯太の心に温かいものが広がった。

 「実は我も、長い間様々な料理を食べてきた。だが、これほど心に響く料理は久しぶりだ」

 「そんな、たかが野菜炒めですよ」

 颯太は謙遜したが、グランドは首を振った。

 「違う。料理に高級も庶民もない。大切なのは、作り手の心だ。貴様の料理には、確かな技術と共に、温かい心が込められている」

 その言葉に、颯太の胸が熱くなった。

 「ありがとうございます。実は最近、料理への自信を失っていたんです。でも、今日はリリアさんにも喜んでもらえて、グランドさんにも褒めていただけて……」

 「リリア? 森の魔法使いの娘か?」

 「ご存知なんですか?」

 「もちろんだ。彼女の舌は確かだ。その彼女が認める料理なら、間違いはない」

 グランドは最後の一口を大切そうに食べた。そして満足そうに息をつく。

 「久しぶりに心から美味いと思える料理に出会えた。礼を言う」

 「こちらこそ、喜んでいただけて嬉しいです」

 颯太は心からそう思った。料理を作る喜び、それを食べてもらう喜び。忘れていた大切なものを、今夜また一つ思い出すことができた。

 「ところで」グランドが急に真剣な表情になった。「貴様には、特別な力を感じる。ただの料理人ではないな」

 「特別な力?」

 颯太は首をかしげた。自分に何か特別なものがあるとは思えない。

 「いずれ分かるだろう。だが今は、その力を信じて料理を続けることだ」

 グランドは立ち上がると、颯太に深々と頭を下げた。

 「今夜は素晴らしい料理をありがとう。また必ず来させてもらう」

 「はい、いつでもお待ちしています」

 グランドが食堂を出て行く後ろ姿を見送りながら、颯太は不思議な充実感に包まれていた。今夜は本当に特別な夜だった。リリアとの出会い、そしてグランドとの出会い。料理を通して、新しい世界が広がっていく予感がした。

 しかし、グランドの最後の言葉が気になっていた。特別な力とは、一体何のことなのだろうか。

第5話 古代ドラゴンの来訪 - 青嵐食堂の異世界料理人 | 福神漬出版