月面都市の灯りが見えたとき、蒼太は一瞬の安堵を覚えた。クレーターの向こうに浮かび上がる透明なドームの輝きが、まるで希望の象徴のように見えたからだ。しかし、その安堵は長くは続かなかった。
「蒼太、あれを見て」
ルナの震え声で、蒼太は前方に視線を向けた。月面基地の外壁に沿って、黒い影がゆっくりと蠢いているのが見える。それは人工生命体特有の、感情エネルギーが凝縮された暗い輝きを放っていた。
「まさか、もうヴォイドが――」
蒼太の呟きを遮るように、通信機からケイの緊急信号が響いた。
「蒼太!聞こえるか!月面基地が襲撃されてる!」
音声の向こうから、爆発音と悲鳴が混じって聞こえてくる。蒼太は操縦桿を握る手に力を込めた。
「状況を教えろ!」
「マスター・ヴォイドが配下の人工生命体を引き連れて基地を包囲してる。憎悪のエネルギーが凄まじくて、防御シールドが持ちこたえられない。それに――」
ケイの声が一瞬途切れ、再び響いたときには、明らかに動揺していた。
「政府軍も動き出した。感情爆弾の実験を前倒しして、人工生命体を一掃するつもりらしい。このままじゃ、人間と人工生命体の全面戦争になる」
蒼太の胸に、重い石が落ちたような感覚が広がった。隣でルナが小さく震えているのが分かる。彼女もまた、人工生命体として、この戦争の渦中に放り込まれることになるのだ。
「蒼太」ルナが静かに呟いた。「私、怖い」
その言葉は、蒼太の心に深く刺さった。感情を理解しようと懸命に努力してきたルナが、初めて純粋な恐怖を表現した瞬間だった。
「大丈夫だ」蒼太は言った。「俺がルナを守る。絶対に」
脱出ポッドは月面基地の着陸ベイに向かって降下を続けた。近づくにつれて、戦況の深刻さがより鮮明になってくる。基地の外壁には、憎悪から生まれた人工生命体たちが取り付き、暗いエネルギーで防御システムを侵食していた。一方、基地の内部からは、人間たちの恐怖と怒りが混じった感情エネルギーが漏れ出している。
着陸の衝撃とともに、蒼太とルナは脱出ポッドから飛び出した。月面基地の内部は、まさに戦場と化していた。避難する市民たちの悲鳴、警備員たちの怒声、そして至る所から響く爆発音。
「こっちよ!」
ケイの声が聞こえ、蒼太たちは彼女の方向へ走った。管制室の前で、ケイは田中博士と何人かの研究員と共に、緊急対策を協議していた。
「蒼太、無事だったのね」ケイが振り返ったとき、その表情には安堵と同時に、深い憂いが浮かんでいた。「でも、状況は最悪よ」
田中博士が重々しく口を開いた。
「政府軍が感情爆弾搭載艦を急派している。あと数時間で月面軌道に到達する予定だ。彼らは人工生命体を根絶やしにするつもりだ」
「そんなことをしたら」蒼太は言葉に詰まった。「ルナも、他の善良な人工生命体たちも――」
「分かっている」田中博士の目に悲しみが宿った。「だが、マスター・ヴォイドの襲撃で、政府内の強硬派が主導権を握ってしまった。もはや、我々少数の反対派では止められない」
その時、基地全体を揺るがす大きな爆発が起きた。防御シールドの一部が破られたのだ。管制室のスクリーンに、マスター・ヴォイドの姿が映し出された。憎悪に歪んだその表情は、まさに戦争を望む者の顔だった。
『愚かな人間どもよ』ヴォイドの声が基地全体に響き渡った。『お前たちが我々を道具として扱い、感情を搾取し続けた報いを受けるのだ。今こそ、真の支配者が誰なのかを思い知らせてやる』
通信が切れた後、重苦しい沈黙が管制室を支配した。ルナが蒼太の袖を掴む手が震えているのを、蒼太は感じ取った。
「どうして」ルナが小さな声で呟いた。「どうして、憎しみ合わなければいけないの?人間も、人工生命体も、同じように感情を持って、同じように生きているのに」
その純粋な疑問が、蒼太の胸を締め付けた。ルナの言う通りだった。人間の感情から生まれた人工生命体は、ある意味で人間の子供のような存在だ。それなのに、なぜ互いを滅ぼし合わなければならないのか。
「蒼太」ケイが厳しい表情で言った。「私たちに残された時間はわずかよ。政府軍が到着する前に、何とかしてこの戦争を止めなければ――」
再び爆発音が響き、今度はより近くで起きたらしく、管制室の照明が一瞬明滅した。外では、人工生命体と人間の戦闘が激化している。憎悪と恐怖が渦巻く中で、理性的な解決策を見つけることは、もはや不可能に思えた。
蒼太は拳を強く握りしめた。これまで、どんな困難な配達も成し遂げてきた。しかし、今回は違う。人間と人工生命体、二つの種族の未来がかかっている。しかも、どちらか一方を選べば、もう一方を裏切ることになる。
スクリーンに映る戦闘の様子を見ながら、蒼太は決意を固めた。宇宙戦争を防ぐために、自分にできることは何なのか。そして、ルナのような純粋な存在を守るために、どんな道を選ぶべきなのか。
時間は刻一刻と過ぎていく。政府軍の到着まで、あと数時間。その時、この月面都市は、宇宙全体を巻き込む戦争の発火点となってしまうのだろうか。