明治時代の扉が軋みをあげながらゆっくりと開かれていく。その向こうから漂ってくるのは、機械油と墨汁が混じり合った独特の匂いだった。陽菜は思わず鼻をひくつかせる。
「なんだか、工場のような匂いがしますね」
「明治という時代は、西洋の文明が怒濤のように流れ込んできた激動の時代だからな」晴明が扇子を手に説明する。「この匂いもまた、その時代の証なのだろう」
北斎は興味深そうに扉の向こうを見つめていた。「おいらの時代の後か。どんな絵師が生まれたのか楽しみだねぇ」
扉が完全に開かれた瞬間、まず飛び出してきたのは小さな機械仕掛けの鳥だった。真鍮でできた羽根をはためかせ、蒸気を噴きながら図書館の天井近くまで舞い上がっていく。
「おお、成功だ!今度こそ完璧な飛行を——」
その声と共に現れたのは、和装に西洋風のゴーグルをかけた青年だった。髪は後ろで結い上げているが、前髪は油で固められて立ち上がっている。手には複雑な機械装置を抱えており、その装置からは小さな歯車がこぼれ落ちていた。
「あっ、しまった!」青年は慌てて歯車を拾い集めようとするが、装置は重すぎて前のめりに倒れそうになる。
陽菜が反射的に駆け寄り、青年の腕を支えた。「大丈夫ですか?」
「おお、ありがとう!君は...」青年はゴーグルを額に上げ、陽菜の顔をまじまじと見つめる。その瞳は好奇心に満ちて輝いていた。「現代の人だね!素晴らしい!実に興味深い!」
晴明と北斎が歩み寄ってくる。
「拙者は安倍晴明。平安の世より参った」
「おいらは葛飾北斎だ。よろしくな」
「おお!」青年の目がさらに輝く。「平安時代の陰陽師と江戸時代の絵師!これは実に興味深い組み合わせだ!拙者はエジソン明治。明治の世で発明に励む者だ!」
陽菜は首をかしげた。「エジソン...明治さん?」
「そうだ!本名は田中明治というのだが、西洋のトーマス・エジソンに憧れて、エジソン明治と名乗っている!」明治は胸を張って言った。「東洋の知恵と西洋の技術を融合させ、誰も見たことのない発明品を作るのが拙者の夢なのだ!」
その時、天井近くを飛んでいた機械の鳥が突然煙を噴いて、ばたばたと羽ばたきながら落下してきた。明治は慌てて両手を広げてキャッチする。
「む、まだ飛行時間に問題があるな...」明治は鳥を優しく撫でながらつぶやく。「蒸気の圧力調整がまだ完璧ではないようだ」
北斎が興味深そうに覗き込む。「おお、これは面白いものを作るじゃないか。おいらの筆で動く絵とは また違った趣があるねぇ」
「筆で動く絵だって!?」明治の目が再び輝く。「それは実に興味深い!ぜひ詳しく聞かせてくれ!そして君の技術と拙者の発明を組み合わせれば、もっと素晴らしいものが——」
「まずは落ち着いていただけますか」晴明が静かに割って入る。「我々がここに集められた理由を説明する必要がある」
陽菜は明治に時層図書館のこと、時喰いのこと、そして虚無の収集家のことを説明した。明治は真剣な表情で聞き入り、時折「ほう」「なるほど」と相槌を打つ。
「つまり、異なる時代から選ばれし者たちが集められ、時間そのものを脅かす敵と戦うということだな」明治は顎に手を当てて考え込む。「実に興味深い現象だ。時間軸の交錯による—」
「理論はともかく」北斎が笑いながら言う。「お前さんは何ができるんだい?」
明治はにっこりと笑って、抱えていた装置を床に置いた。それは真鍮と木材を組み合わせた複雑な機械で、あちこちに小さな鏡やレンズがついている。
「これは『時見眼鏡』だ!」明治は誇らしげに装置を指差す。「西洋の光学技術と東洋の陰陽道の理論を組み合わせて作り上げた!時間の流れの歪みや、異次元の存在を視覚化することができるのだ!」
晴明が眉を上げる。「陰陽道を?」
「そうだ!拙者は西洋の科学だけでなく、古来からの東洋の叡智も学んでいる」明治は装置の横についたハンドルを回し始める。「陰陽の気の流れを光学レンズで捉え、機械的に増幅するのだ!」
装置が低いうなり声をあげ始める。レンズの部分が淡く光り、空中に複雑な幾何学模様が浮かび上がった。
「これは...」陽菜が息を呑む。模様は美しく、まるで万華鏡のような色彩を放っている。
「この図書館の時間軸の状態だ」明治が説明する。「見たまえ、ここに小さな歪みがある」
確かに模様の一部が微かに揺らいでいる。北斎がその部分を指差した。
「あそこだな。おいらの筆でも感じ取れる」
晴明は感嘆の声を漏らす。「見事だ。これほど精密に時の流れを可視化するとは」
明治は嬉しそうに頬を染める。「まだまだ改良の余地はあるが...おお、そうだ!」
彼は懐から小さな袋を取り出し、中から奇妙な形をした小さな機械を取り出した。それは手のひらほどの大きさで、やはり真鍮でできている。
「これは『記憶保存器』だ!」明治は興奮気味に説明する。「大切な記憶や情報を物理的に保存できる装置だ!もし時喰いに記憶を奪われそうになったら、これに避難させることができる!」
陽菜は小さな装置を手に取って眺める。表面には細かな彫刻が施されており、小さなダイヤルがついている。
「すごいです...でも、どうやって記憶を機械に?」
「それが東西融合の技術の真髄だ!」明治は目を輝かせる。「西洋の精密機械技術で容器を作り、東洋の気の概念で記憶という情報を物質化するのだ!」
その時、図書館の空気が急に冷たくなった。書棚の向こうから、不吉な笑い声が響いてくる。
「ほう...また新しい守人が現れたか」
虚無の収集家の声だった。四人は身構える。
「なるほど、明治の発明家か」声は徐々に近づいてくる。「興味深い技術だ。だが、すべてを無に帰す我が力の前では、どんな発明も無意味だ」
明治は慌てて時見眼鏡を操作する。装置が激しく音を立て、空中の模様が乱れ始める。
「これは...時間軸の大規模な歪みが発生している!」
書棚の隙間から、黒い霧が立ち上り始める。その中に時喰いたちの赤い目が光る。今度は数が多い。
「皆、構えろ」晴明が札を手に身構える。
北斎も筆を握り、空中に素早く線を描く。「今度はもっと手強そうだねぇ」
陽菜は胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。三人の仲間たちの存在が、心の支えとなっているのがわかる。
「エジソン明治さん」陽菜は振り返る。「私たちと一緒に戦ってもらえますか?」
明治はゴーグルを目にかけ直し、ニヤリと笑った。「もちろんだ!拙者の発明の真価を見せる時が来たようだな!」
彼は懐から複数の小さな装置を取り出す。それぞれが異なる形をしており、複雑な機械音を立てている。
「時間よ、記憶よ、歴史よ!拙者たちが必ず守り抜いてみせる!」
虚無の収集家の笑い声が図書館全体に響き渡る中、四人の守人たちは肩を並べて立った。異なる時代から来た四人だが、確かな絆で結ばれていることを陽菜は実感していた。
しかし、立ち上る黒い霧の向こうから現れた敵の姿を見た時、四人の表情は一変する。
「これは一体...」晴明が息を呑む。
現れたのは、これまでとは比べ物にならないほど巨大な時喰いだった。そしてその背後に立つ虚無の収集家の姿が、ついに明確に見えたのである。